映画『名もなき野良犬の輪舞』応援記事置き場

2018年5月公開の映画『名もなき野良犬の輪舞 (原題:不汗党) 』応援用ブログです。翻訳は素人です。

【ビョン・ソンヒョン監督インタビュー】ミステリア 13号[後編]

ビョン・ソンヒョン監督インタビュー

出典:雑誌『ミステリア』13号  2017年7月発売

前半:

themercilessjpf.hatenablog.com

 

全体にネタバレを含みます!!ご鑑賞後にお読みいただくことをお勧めします。

*雑誌内容を基にしての抜粋・要約になります。

*前編からの続きになります。 

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■主要キャラの三角関係以外にも、囚人たちが互いにおんぶをしたり体を寄せ合う等、男性間の親密な結びつきを直接的に表現する描写が目についたが。

例えば『狼/男たちの挽歌・最終章』では、ダニー・リーがチョウ・ユンファを愛していないと説明がつかないと思わせられる行動を取るだろう。『不汗党』でも単なる兄弟愛では説明がつかない状況が展開される。そのため男性間のスキンシップやメロ描写を継続的に強調したかった。それでも、『不汗党』を本格的なクィア作品だと規定することはできない。そう見られることに拒否感はないが、ただクィア要素をある程度入れたというだけなので、むしろ恥ずかしく感じてしまう。僕はこれがヒョンスの成長記であり、ジェホの初めての片想いの話、ジェホの罪の意識についての話だと考えた。ジェホはヒョンスを愛したことで、初めて罪の意識を持つようになったんだ。

ヒョンスは悪人ではないが、実は100パーセント道徳的な人物というわけでもない。キム・ソンハンの拷問シーンでも、ジェホに言われるまま行ってしまうのではなく離れたところから見届けるような人間だ。それでもジェホがヒョンスについて「善良(素直)」と表現するのは、彼がヒョンスを崇高な存在として見ているからだ。ジェホの目にだけは、ヒョンスが善良かつ神聖に見える。そういう隠喩的表現をあちこちに仕込んだ。ジェホがビョンガプに言う「(ヒョンスは)お前や俺のような人間には死んでも理解できない」、ヒョンスがミンチョルに言う「(ジェホは)お前なんかの手に負える男じゃない」、これらの台詞はそれぞれ二人が互いをどう考えているのかを表したものだ。

 

■ジェホが出所したヒョンスにロシア美女ナターシャを「プレゼント」する場面に関して。以降のストーリーと比べると異質に感じられる場面でもあり、多くの韓国映画に出てくるように「穴」を介して二人の男が繋がる、という表現と捉えられかねない場面でもあるが。

最初のシナリオではその場面での性的なジョークをもっと強めに書いた。しかし撮影後、観客が不快に感じるのではと考え、悩んだ。彼らが赤いスポーツカーに乗って走り抜けるシーンの直後にチョンチーム長が登場し、ライターを点ける場面に繋げなければならなかったが、スポーツカーのショットを抜くとリズムが崩れてしまった。元々余分なカットを撮らないタイプなので他に入れ替えられる素材もなく、気に入りはしなかったが、映画的リズムのために入れる他なかった。

 

やおい/BL文化に親しんできたか。

『新しき世界』公開後に、チョン・チョンとイ・ジャソン関連のファンフィクションに触れたのが初めてだった。(二次創作が活発に作られる)現象自体が面白く、創作者としてパク・フンジョン監督が羨ましかった。

 

■ハン・ジェホの第一印象はけたけた笑うふざけた人物だが、次第に彼は絶対に手の内を明かさないのだと分かってくる。

ジェホが刑務所で電話するシーンがある。本来台詞のないモンタージュカットだが、その撮影の際に何でもいいので台詞を発してみてくれと頼んだら、ソル・ギョング先輩が突然声を上げて笑い出したんだ。その笑い声がとても良かった。元々ジェホの台詞には、彼が下品に見えないよう、悪態があまりない。恐ろしさではなく親しげな軽薄さで人を制してしまう雰囲気が欲しかった。なのでより大きく、頻繁に笑ってくれるよう頼んだ。元々ジェホの癖として耳を触るというのを考えていたが、笑い声がその代わりになった。ソル先輩は撮影に入るとき、準備してきたものを一度全部見せてくれるタイプだ。その中から僕がこれだと思ったキャラクターを掴み出せば、後はそれをしっかりと掴んで進めてくださる。撮影の間に完全にジェホを体系化されたようだった。

キム・ソンハンに対して挨拶をする場面でも、「そんなにかしこまる必要ないよね?」と言って、その通りに抑揚なく読点を置かない口調で演じていた。ビョンガプを殺す場面でも、元々はビョンガプがナイフを持った手をゆっくりと下げていく予定だったが、ジェホがネームプレートでナイフを押さえて取り落とすという演技になった。終盤での僕の仕事といえば、先輩が癖で前かがみになる度に「もう少しまっすぐ」と声をかけてあげることだけだった。

 

■拷問シーンで苦しむキム・ソンハンを見物するハン・ジェホの表情が衝撃的だが。

あれは完全にソル先輩が作り上げたものだ。小さな子供が好奇心に満ちた目で見つめるような表情で、自分も見ていて肌が粟立った。

 

■コ・ビョンガプは序盤に暴力的かつ衝撃的な姿を見せるが、その印象とは異なり、実際は一番繊細かつ純情なキャラクターだ。

ヒウォン先輩には最初、ありふれたキャラクターだという理由でシナリオを断られた。しかし説得してもう一度読んでもらうと、「ビョンガプ役をやる。ビョンガプはジェホを好きなんだと考えて演技する」と言ってくださったので、本当に驚き、嬉しかった。代わりにビョンガプが同性愛者だという設定をむやみに劇画化しないやり方を取ろうと話し合った。

編集でカットした中にビョンガプとジェホの会話シーンがあるが、ヒウォン先輩がビョンガプのキャラクターをどう捕らえたのか、そこに明確に表れていた。二人がトッポッキ店に行く前のシーンで、ビョンガプがジェホを覗き見、肩に触れ、ジェホが振り返ると素早く手を引っ込めるという内容だ。ディテールが非常に良かったが、作劇のリズムのため編集過程で抜くことになった。スタッフに人気の高い場面だったため散々文句を言われた。

 

■チョ・ヒョンス役にイム・シワンをキャスティングしたのは見事な采配だ。このキャラクターをどう作り上げたのか。

「お前は痣まできれいだ」という台詞そのまま、美少年であること、それから善悪が共存しているイメージが必要だった。シワンさんがキャスティングされたことで、前半のヒョンスを少しいたずらにひとを振り回すようなイメージに変えた。シワンさん本人は非常にしっかり準備をしてきてくれたが、自身のイメージがノワールジャンルに合うか心配していたためか、演技のトーンが少し重かった。軽くいこうと伝え、最初は訝しげだったが、『タチャ』のチョ・スンウさんの演技を例に出すとすぐに理解してくれた。

だがスタッフ間から、序盤でヒョンスが単に軽薄なだけの人物に見えはしないかという声が上がった。チェ船長のアクションシーンからヒョンスの変化を見せようという作戦でいたものの、僕はそれで少し動揺してしまった。しかしシワンさんは動じず、「僕は何も心配していません。僕らが考えた通りで合ってると思います。もしよっぽど心配になったらおっしゃってください」と言った。彼の方が芯が強かったんだ。

僕は特に泣く場面などで見た者の感情を引き寄せる演技というのがシワンさんの一番の強みだと考えているが、シワンさん本人は、演技において本心がこもっていたかを最も重視する。例え傍目には分からなかったとしても、もし自分の感情が作り物だったと感じればそのテイクには満足しない。他者を騙しながら演技するスタイルではなく、一回一回にエネルギーをすべて注ぐ。テイクを重ね俳優のエネルギーをすべて出し尽くした後で新しいものを引き出そうとする監督もいるが、僕は温存させる方が良いと考えるタイプで、ソル先輩もシワンさんも最初に見せる芝居が良かったので、テイクを多く重ねはしなかった。

 

■刑務所の廊下のシーンは『不汗党』において最も美しくロマンティックで、ジェホとヒョンスの感情を台詞なしで具象化させたシーンだ。どう構想したのか。

二人の間の感情を少し幻想的に見せたかった。暗がりに吸い込まれていくようなヒョンスのイメージなどを考えており、『キャロル』や『ドライヴ』のような映画、特に『ドライヴ』のエレベーターでライアン・ゴズリングキャリー・マリガンがキスするシーンを思い描いた。だが、暗くなる中で二人が顔を合わせた瞬間再び光が差すという照明のタイミングがなかなか合わず、チョ・ヒョンレ撮影監督とパク・ジョンウ照明監督が非常に苦労していた。観客の皆さんが気に入ってくださったのならよかったが、思い描いた画を正確に具現化できなかった場面なので残念だ。

 

■普通ノワールでは青灰色や黒のトーンを強調するが、『不汗党』で深く印象に残るのは暖かなセピアトーンだ。

ヒョンスとジェホが一緒に映る場面は温かな雰囲気にした。なので刑務所の衣装も茶色だ。チェ船長のアクションシーンでは寒色のトーンを使ったが、そこでもヒョンスとジェホが一緒に大男を倒すとき、蛍光灯が割れて暖色にトーンが変化する。グレイッシュなノワールという一般通念から脱したかった。暗い場所も無理に明るくはしなかったが、ソル・ギョング先輩の表情をどうしても見せたいシーンに限っては、トーンを少し上げた。

 

■ヒョンスが母親の死に慟哭する姿を見つめるジェホのカットが二回登場するが、前半では憐れむような表情、回想ではより冷徹な表情を浮かべている。前半の表情は偽りなのか。それぞれの視点の主体は誰か。

まず意図として、ジェホが後天的ソシオパスであろうという点がある。母親の知らせに慟哭するヒョンスを見て、そんなに苦しむのか、そんなに辛いのかと実際に驚いたのかもしれない。回想での表情は彼の心の中だけのものかもしれない。もちろんその逆と見ることもできる。

 

■この映画は例えば空間背景が釜山であるのに釜山訛りがほぼ出てこない等、通常の韓国ノワールと異なりリアリティに対するこだわりが見られない。

韓国ノワール映画の中でキム・ジウン監督の『甘い人生』が一番好きだ。ああいうスタイルの無国籍映画を撮りたかった。さらに「バターの匂い」(*異国的な雰囲気)を少し出したかった。

スタッフには、背景は釜山だがロケ地は釜山でなくていい、釜山を象徴するものが見えない方がいいと伝えた。ロケハンで苦労して写真を撮ってきても僕が「韓国っぽすぎない?」と何度も突き返したので、スタッフは「監督が求めるような場所は韓国にはない」と泣き顔を見せた。結局セットの活用率が高い映画になった。

ゲガードクラブに関しては、ハン・アルム美術監督のアイデアで完成した。クラブ場面のコンテ作業に行き詰まって相談していたら、海辺のクラブなら冷凍倉庫の地下にあるという設定はどうかと提案してくれた。その言葉で一気に解決した。ジェホとヒョンスの間に性的な緊張感が流れるシーンも、どこか閉ざされた空間ということしか見えていなかったが、それなら冷凍製品を運搬するエレベーターだとすぐに決まった。

しかしそうしてセットの比重が高くなったことで終盤制作費を節約しないといけなくなり、撮影順序の都合で最後に撮った刑務所のセットを縮小せざるを得なかった。本来は一番作りこみたかったところだ。元々、カメラが空を映しているところに大きな足の影が入りこんで刑務所に向かうというショットがあった。それでジェホとヒョンスの紹介に繋げる予定だった。動物園のライオンのようなジェホと、そこに初めて足を踏み入れた、尖った爪を隠した幼いネコ科の動物のようなヒョンス。その弱肉強食の感じを紹介する場面だったが、計画通りに撮影できず残念だった。

 

■『不汗党』を完成させる過程で一番プレッシャーを受けた場面、また絶対に変えられないと思った場面はあるか。

エンディングに関しては意見が分かれた。内容自体が問題なのではなく、演出をこうも淡々と進めてもいいのかという点に疑問の声があった。ワンシーンワンカットで、人によっては退屈に感じるかもしれないくらいなので。当初は再撮影すべきではないかという話も出たが、編集版を観て制作会社もこのままで良いと同意してくださった。

 

■エンディングに関して、見方によっては「想い叶わぬ二人」を強調するために周辺の人物が皆死ななければならなかったという、ある種お手軽な悲劇という批判もあり得るだろうが。

最初はヒョンスが一番最初に死ぬエンディングも考えた。僕はヒョンスだけ生き残ったことが、勧善懲悪だとかハッピーエンドだとは思わない。あえて言えばハッピーエンドなのはジェホの方だ。むしろあれはジェホが望んだ、彼が廃ビルに向かいながら思い描いていたエンディングだったのではないか。ヒョンスの「俺を殺さないならあんたが死ぬ」という言葉に対してジェホが彼を殺さないことを選んだこと、「俺のような失敗はするな」と言い残したことも、色んな意味に捉えられるようにしたかった。

恋人関係において別れというのは、一方にとっては望ましいエンディングであり得る。この破局によって肩の荷を降ろせたのはジェホの方で、何か背負うことになったのはヒョンスの方ではないか。車の中で横たわるヒョンスの最後の表情が、できるだけ死人のように見えるようにしたかった。死んではいないが生きてもいない姿を想像した。ヒョンスは最も罪の意識を感じるやり方でジェホを殺し、これからその罪の意識を抱えて生きていかなくてはならない。

 

■興行に関して、「一般的な共感帯」形成には届かなかった一方で、非常に熱狂的なファンダムを得た。

(暫し躊躇してから)興行的な結果については罪責感がとても大きい。とてもしんどかったが、周囲がいつも良い反応をチェックして教えてくれて、非常に有難かった。

 

■次回作は金大中の参謀を主人公とした70年代大統領選挙の政治スリラーと聞いたが。

シナリオを書き終えた状態だ。地域感情がどう作られ加工されていったのか、大義のために盲目的な道徳的優越性を占有することは正しいことか、などについて語りたい。ひとまず僕が今やりたいと考えている話はそれだけだ。

 

翻訳:@TheMercilessJPF

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